私は、キリスト教の強さの一つが、奴隷の宗教であった事、もう一つは聖書という言葉による経典がある事だと考えている。
言葉による経典という意味では、仏教も、儒教も差がないハズだが、キリスト教にはその事を明示的に示す、有名なヨハネの福音書(Gospel according to John)というものがある。冒頭の「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」(In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.)は、旧約聖書から引き継がれた聖書作者の考えをはっきりと示している。
言葉というものを記号論理の表現手段として純粋化(厳密化)していけば、数学にいたるだろう。神学も数学になるべきだと私は思っている。 そう、神を定義する事が可能かどうかはわからないが、少なくとも神を表現するのに「万能」「全能」「超越者」だのといった定義のない言葉を使うべきではない。
その意味で、神学者は、まず数学、少なくとも論理学をもっと勉強しなければならない。実際、大学程度の数学をかじったものなら、「超関数」「リーマン球における無限遠点」など神のいわゆる「超越性」連想させる概念が気になるはずである。
あるいは、神の存在など、私たちが抱えている問題について、ある種の「解の存在定理」のように、存在すると仮定して計算進めて(つまり神が存在すると仮定して行動して)、出てきたものが、解であれば、(神自身の存在は証明できなくても、)それでよいのかもしれない。 直接の存在は証明できないが、言葉として我々が生きていくうえで、実際に役に立てばそれでよいとだすれば、その働き方はまさに言葉と同じである。
近現代の数学を知らない聖書作者のヨハネが、すでにその事に気づいていて、聖書が歴史的事実かどうかを気にするなとあえて宣言した様に思われる。
2009年3月8日日曜日
2009年3月7日土曜日
私にとっての神-6
一神教とは何かという事について寄り道をしてしまった。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のエホバ(ヤハウェイ、アラー)の神は、ユダヤ人の奴隷体験を基にした人格神である事は、この三つの文明圏に属さない人間にとっては、すこし考えてみれば、専門の勉強・研究など不要なほど自明な事であろう。
では、イエス・キリストの解いた愛と救いと慈悲の神とはなにか?
一言でいえば、母親であったマリアの愛を彼は、神の愛に昇華させた。私のこの考えは、遠藤周作によっているが、たぶん英語で検索しても同様な考えは、常識だろうと思われるので、あえて検索しない。私が欲しているのは、考えの新奇性の功名を争う学問としての神の定義ではない。自明と思われる事に時間を割かずに先に進みたいのだ。
イエス・キリストがどうして「愛」の神を説きえたかといえば、彼自身が自覚していたかどうかは定かではないが、マリアとヨゼフの深い愛を受けていたからに違いないと断定する。
残念ながら創造神でない人間は、自分の体験したものしか、思想・哲学といわれるような抽象的な領域においてすら、力のある意味を持たせられないようだ。 抽象化というのは、単なる一般化であって、本質的にはまったく創造性のない知的行為なのだろう。 あるいは、言葉というものがもっている機械的な性質にすぎないのかもしれない。
キリストの宗教改革によって、ともかくも、神は奴隷主から、人の親になったというべきだろう。
しかし、先祖崇拝なら、アジアなど、どこにでもある。 いったん他人であった神にしかない強さとは、どこから来るのだろう。 私は、「言葉」だと思っている。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のエホバ(ヤハウェイ、アラー)の神は、ユダヤ人の奴隷体験を基にした人格神である事は、この三つの文明圏に属さない人間にとっては、すこし考えてみれば、専門の勉強・研究など不要なほど自明な事であろう。
では、イエス・キリストの解いた愛と救いと慈悲の神とはなにか?
一言でいえば、母親であったマリアの愛を彼は、神の愛に昇華させた。私のこの考えは、遠藤周作によっているが、たぶん英語で検索しても同様な考えは、常識だろうと思われるので、あえて検索しない。私が欲しているのは、考えの新奇性の功名を争う学問としての神の定義ではない。自明と思われる事に時間を割かずに先に進みたいのだ。
イエス・キリストがどうして「愛」の神を説きえたかといえば、彼自身が自覚していたかどうかは定かではないが、マリアとヨゼフの深い愛を受けていたからに違いないと断定する。
残念ながら創造神でない人間は、自分の体験したものしか、思想・哲学といわれるような抽象的な領域においてすら、力のある意味を持たせられないようだ。 抽象化というのは、単なる一般化であって、本質的にはまったく創造性のない知的行為なのだろう。 あるいは、言葉というものがもっている機械的な性質にすぎないのかもしれない。
キリストの宗教改革によって、ともかくも、神は奴隷主から、人の親になったというべきだろう。
しかし、先祖崇拝なら、アジアなど、どこにでもある。 いったん他人であった神にしかない強さとは、どこから来るのだろう。 私は、「言葉」だと思っている。
妄想の真実 病気編その2
お金についてきれいにしていないと、肝臓を悪くする。
これについては少し詳しく書く。
まず実例サンプリングだが、
私自身、肝臓血管腫がある。これは父がなくなったときの借金と財産の処理を公正に行ったとはいえないからであろう。親戚にC型肝炎を患った人が多いが、いずれも婦人で、親や財産を多額に相続されていたように思われる。自分の例からしても相続だけして出すべきお金を出さなかったのであろうと想像している。「妄想」の域を出ないが状況などからそう感じる。
有名人で、孫正義氏などもB型肝炎を患って治療されているが、金持ちは気をつけるべきであろう。
面白いのは、昔から肝臓病にはシジミなどの「貝」が良いとされているが、古代中国では「貝」がお金であった事が、漢字の常識として知られている。偶然とは思えない。
これについては少し詳しく書く。
まず実例サンプリングだが、
私自身、肝臓血管腫がある。これは父がなくなったときの借金と財産の処理を公正に行ったとはいえないからであろう。親戚にC型肝炎を患った人が多いが、いずれも婦人で、親や財産を多額に相続されていたように思われる。自分の例からしても相続だけして出すべきお金を出さなかったのであろうと想像している。「妄想」の域を出ないが状況などからそう感じる。
有名人で、孫正義氏などもB型肝炎を患って治療されているが、金持ちは気をつけるべきであろう。
面白いのは、昔から肝臓病にはシジミなどの「貝」が良いとされているが、古代中国では「貝」がお金であった事が、漢字の常識として知られている。偶然とは思えない。
妄想の真実 病気編その1
いくつかの病気は、その人の生活傾向や性癖が原因になっているように思える。
顔に関係するものを3つ挙げる。
1.母親との関係がうまく言っていない人は、鼻が悪い。
私の父や、妻、子供たちが例である。私自身も小さい子供の頃は鼻炎に悩まされていた。母親の言うことを素直に聞くようになって鼻が通るようになった。
2.物事の暗い面、悪い面ばかり見ていると眼病にかかる。
怨霊の話ばかり書いていた井沢元彦、最晩年の上廣哲彦師、私の会社のある上司。
3.人の言うことを聴こうとしない人は耳が悪くなる。
ベートーベン、会社の以前の部下、会社の同僚。
いつもながら実例のサンプリングが少ないので、「妄想」を卒業できない。しかし「真実」を発見したと感じている。残念ながら一番「災いの元」であるハズの口については、発見できていない。
顔に関係するものを3つ挙げる。
1.母親との関係がうまく言っていない人は、鼻が悪い。
私の父や、妻、子供たちが例である。私自身も小さい子供の頃は鼻炎に悩まされていた。母親の言うことを素直に聞くようになって鼻が通るようになった。
2.物事の暗い面、悪い面ばかり見ていると眼病にかかる。
怨霊の話ばかり書いていた井沢元彦、最晩年の上廣哲彦師、私の会社のある上司。
3.人の言うことを聴こうとしない人は耳が悪くなる。
ベートーベン、会社の以前の部下、会社の同僚。
いつもながら実例のサンプリングが少ないので、「妄想」を卒業できない。しかし「真実」を発見したと感じている。残念ながら一番「災いの元」であるハズの口については、発見できていない。
2009年2月24日火曜日
一神教(ユダヤ教・キリスト教)=奴隷の宗教は、常識?
旧約聖書の神が奴隷主である、つまりユダヤ教は奴隷の宗教だ(すなわちキリスト教も)というのは、どうも西洋人には、半ば常識のようである。
たとえば、
http://www.corrupt.org/data/files/friedrich_nietzsche/
"slave religion","religion of slave"で検索すると、読みきれないほどたくさんのヒットがある。
やれ、マックス・ウェーバーだ、シモーヌ・ヴェイユだ、上記のニーチェだと、私自身は名前しか知らないが、高名な思想家、哲学者から、一介の若者の意見のような書き込みまで。
えらい大発見のように感じたが、とんだお笑い種である。これだけヒットがあるという事は、だからどうだはともかく、そういう見方があるという事は、常識のようだ。
この事で思い出したのは、英語力に関する私のお恥ずかしい体験である。
30代の頃、会社の英語の社内検定でAクラスをもらっていた私は、それなりに英会話や英語には自身があるつもりでいたが、社内の上級の英会話のクラスで、米国人の講師から、親子の間で"I love you.”というと思いますか?という質問を受けた。え?と思ったが、自分のそれまでの経験で聴いたことがないので、「いわないと思う」と答えた。
もうお分かりだろうが、答えはyesなのだ。 そう思って洋画を見れば、よくそれに類する場面がある。 この時の授業は、異文化を理解するというテーマであったが、それほどまで、私たちは異文化を理解できていないという事である。
改めて、英米語圏の人々の常識、文化を理解していないのだという事に気づかされた。
検索エンジン様様でもある。
たとえば、
http://www.corrupt.org/data/files/friedrich_nietzsche/
"slave religion","religion of slave"で検索すると、読みきれないほどたくさんのヒットがある。
やれ、マックス・ウェーバーだ、シモーヌ・ヴェイユだ、上記のニーチェだと、私自身は名前しか知らないが、高名な思想家、哲学者から、一介の若者の意見のような書き込みまで。
えらい大発見のように感じたが、とんだお笑い種である。これだけヒットがあるという事は、だからどうだはともかく、そういう見方があるという事は、常識のようだ。
この事で思い出したのは、英語力に関する私のお恥ずかしい体験である。
30代の頃、会社の英語の社内検定でAクラスをもらっていた私は、それなりに英会話や英語には自身があるつもりでいたが、社内の上級の英会話のクラスで、米国人の講師から、親子の間で"I love you.”というと思いますか?という質問を受けた。え?と思ったが、自分のそれまでの経験で聴いたことがないので、「いわないと思う」と答えた。
もうお分かりだろうが、答えはyesなのだ。 そう思って洋画を見れば、よくそれに類する場面がある。 この時の授業は、異文化を理解するというテーマであったが、それほどまで、私たちは異文化を理解できていないという事である。
改めて、英米語圏の人々の常識、文化を理解していないのだという事に気づかされた。
検索エンジン様様でもある。
2009年2月23日月曜日
ユダヤ人の一神教 契約と言葉
旧約聖書は、古い契約だという。
奴隷となった民は多かったのに、どうしてユダヤ人だけが、一神教という宗教を発明できたのだろうか?
第一の答えは、彼らが、言葉を記録すべき文字を持っていたからであろう。
逆に言うと、文字という高度のな文明を持っていながら、奴隷となり、さらに生き延びた例が、稀有であったというべきなのかもしれない。
そして彼らの宗教は、契約だという。
これも、研究と思索を要する話だが、一神教には、言葉が、書かれた言葉が必要だといえるのではないだろうか?
戒律も、一方的ではあるが、書かれた言葉による契約なのであろう。
奴隷となった民は多かったのに、どうしてユダヤ人だけが、一神教という宗教を発明できたのだろうか?
第一の答えは、彼らが、言葉を記録すべき文字を持っていたからであろう。
逆に言うと、文字という高度のな文明を持っていながら、奴隷となり、さらに生き延びた例が、稀有であったというべきなのかもしれない。
そして彼らの宗教は、契約だという。
これも、研究と思索を要する話だが、一神教には、言葉が、書かれた言葉が必要だといえるのではないだろうか?
戒律も、一方的ではあるが、書かれた言葉による契約なのであろう。
2009年2月22日日曜日
一神教 試練を生き延びた開放奴隷の心象2
ユダヤ人が発明した一神教が、彼らが昔奴隷であった事の消えぬ刻印であるとかいた。(断っておくが、ユダヤ教や一神教が多神教より劣るとか、価値がないとか言いたいわけではない。 むしろ一神教の強さと弱さを明らかにして、私自身の神とは何か?何であるべきか?との問いに答えを出したいのだ。)
私自身最近、気がついたことなので、もう少し深く掘り下げてみようと、旧約聖書をそういう目で見直してみると、ちょっと考えただけでも納得させられる事が多い。
気がついた順に書くと、

1.アブラハムが息子のイサクを神に捧げよ命じられた事
先祖崇拝のアジア系の神ならあり得ない話だが、奴隷主なら奴隷の子供は家畜の子と同様の財産であり、奴隷から子供を取り上げる事など日常であったであろう。
2.カインとアベルの説話から
この話から、カインは農業の民の祖先、ユダヤの先祖のアベルは遊牧民であったとされる。カインが敵役になっているのは、農業民の方が古く、肥沃な土地は農業の民に占拠され、遊牧民はその奴隷もしくは下級階級とされていたのを、遊牧によって独立して荒野に逃れたということであろう。
3.エデンの園の説話
奴隷には、自分の判断でできる事は極端に限られていたであろう。しかしその反面奴隷主に従う限り命は守られ、知恵と力を自己責任で働かせて、生存競争と対峙する苦しみは緩和されていたであろう。エデンの園から出たという事は、彼らはむしろ、後者の苦しみ、知恵のりんごの木を食べる方を選んだのである。
4.妬む神
昔から人々を旧約聖書の解釈をするときに苦しませてきたようだが、奴隷主なら当然であろう。自分の財産なのだから。(Amazonの書評から、岸田氏の著作にも書いてありそうだが)
ユダヤ人の一神教が、元奴隷の体験が下敷きになっている事は、明らかのように思える。 だからこそ、これほどまでに強く、後の世に影響を与えているのだろう。
私自身最近、気がついたことなので、もう少し深く掘り下げてみようと、旧約聖書をそういう目で見直してみると、ちょっと考えただけでも納得させられる事が多い。
気がついた順に書くと、

1.アブラハムが息子のイサクを神に捧げよ命じられた事
先祖崇拝のアジア系の神ならあり得ない話だが、奴隷主なら奴隷の子供は家畜の子と同様の財産であり、奴隷から子供を取り上げる事など日常であったであろう。
2.カインとアベルの説話から
この話から、カインは農業の民の祖先、ユダヤの先祖のアベルは遊牧民であったとされる。カインが敵役になっているのは、農業民の方が古く、肥沃な土地は農業の民に占拠され、遊牧民はその奴隷もしくは下級階級とされていたのを、遊牧によって独立して荒野に逃れたということであろう。
3.エデンの園の説話
奴隷には、自分の判断でできる事は極端に限られていたであろう。しかしその反面奴隷主に従う限り命は守られ、知恵と力を自己責任で働かせて、生存競争と対峙する苦しみは緩和されていたであろう。エデンの園から出たという事は、彼らはむしろ、後者の苦しみ、知恵のりんごの木を食べる方を選んだのである。
4.妬む神
昔から人々を旧約聖書の解釈をするときに苦しませてきたようだが、奴隷主なら当然であろう。自分の財産なのだから。(Amazonの書評から、岸田氏の著作にも書いてありそうだが)
ユダヤ人の一神教が、元奴隷の体験が下敷きになっている事は、明らかのように思える。 だからこそ、これほどまでに強く、後の世に影響を与えているのだろう。
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