2010年7月16日金曜日

君はJKWeddingをみたか?

いささか、旧聞になるが、半年ほど前に、YouTubeのJK Weddingをみた。

https://www.youtube.com/embed/4-94JhLEiN0

5000万ヒットである。素人の撮った結婚式ビデオがである。
何度もみた、泣けてきた。

わかった!かれらの友人関係が、とてもすばらしく想像されるのだ。
人気TVコメディのFriendsのような濃密な友人関係が実在するのだと
感激させられるのだ。

今の自分にかけているもの、失ってしまった自分の中の青春に
対する悲しみが、感動を増幅させているのかもしれない。

2010年3月7日日曜日

三種の神器こそ神道の教義(素人神道論)

私は、一般には天皇家の統治権の象徴と見られているいわゆる三種の神器こそ、言葉ではなく、物に託された、神道のすばらしい教義だと感じている。

それは、政治的な意味と同時に、人が一般的に備えるべき精神的・倫理的価値を見事に象徴的に表しているように思える。

物による象徴であるだけに、言葉では表しきれないような、広くて深い意味にとることができるように感じるのである。

ここでは、政治的意味についてはさておき、三種の神器(玉、剣、鏡)の指し示す宗教的・精神的に価値について、言葉による冗長さを敢えて我慢して、私の感じるところを表現するならば、

玉:愛、情熱、喜び、感謝など、人としての生きるうえでの目的となるべき精神的核の象徴である。

剣:必要な行動を果敢行い、戦い、苦難などを厭わず、自分から向かっていく勇気と行動力の象徴である。

鏡:事象・他人・自分自身を正直・素直に見つめ、理解し、行動に反映すべき曇りのない知性の象徴である。

行動指針や、倫理項目を数箇条にまとめることは、「十戒」や「八正道」など教義があるとされる宗教では普通のことだが、これほど簡素で、誰の目にもわかりやすい教義はないのでは、ないだろうか?

3つにまとめた抽象度の高さを、物によって象徴的に表現することによって、思考というフィルタを通さず、直に心に訴えてくるという点で、他に類を見ないすばらしい教義だと、いつも感動するのである。

2009年7月30日木曜日

自分とは何か?

自分は何であるのか?という問いは、如何に生きるべきかに迷ったとき、自然に発せられる問いの一つであろう。 しかしここで、我々が、ものを知るという事の本質が、事物の間の関係付けでしかないということを認めるならば、答えを得るために最初にしなければならない事は、我々自身の存在の直接的原因を考えること、すなわち生物学的起源である両親を考える事であることは明らかである。そうすると親(親がどういう考えで如何にに生きてきたか)を考え、親と向き合い(親が自分をいかに育ててくれたか、育てようとしているのか)、親を尊重する(親の与えてくれモノを如何に活かすか)という事は、単に世俗的な道徳倫理の徳目ではなく、我々自身の存在が何かを考えるという事の本質であるという風にいえる。
同様に自分を育てた環境である社会や、自分の受けた教育などが、現在の自分を作っていることは明らかであるから、「自分とは何か?」をさらに考えるには、自分の所属する社会や先生や著作などを考え、尊重する事に帰着するのは、きわめて自明である。 親の恩、師の恩、社会の恩というような言葉があるが、「恩」というのは、ただ感謝せよということではなく、自分が何を受けついだのかよく考えてみれば、自分が何であり、自分が如何に生きるべきか、自然に答えが見つかるであろういう事に違いない。

2009年5月29日金曜日

君はソニア・ソトマイオをみたか?

米国の最高裁判所判事に、ソニア・ソトマイオ氏が選ばれ、その選任の挨拶をみた。
http://www.youtube.com/watch?v=ugq4emGJJGQ&feature=related

ニューヨーク サウスブロンクス育ちのヒスパニック女性であることや、家族や周囲に対する愛情の深さもさることながら、彼女の法律家という仕事に対する考え方に、深く感動し、涙した。

「法律の奥深さ(複雑さ)につきない挑戦を発見した」
「我々の基本的な権利の大本として法律が社会を統べていると確信している」
「建国の父たちが200年に渡って朽ちない基本的考え方(principle)を確立し、私はそれに深く啓発された。」
「その基本的な考え方を、現代の問題や対立に適用する役割を与えられた事は私にとって大変な特権だと感じた」

日本の法律家でこんな事を実体験踏まえて言える人がいるだろうか?
地味でおもしろくもなさそうな法律家と言う仕事に、これだけの熱意と誇りを持って、醍醐味語れる法律家がいるのだろうか?

下記に、日本の最高裁判事のHPがあり、15人がそれぞれ何か書いている。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html
情けないだろう、これでは。日本は米国に永遠に勝てる事はないだろう。

2世、3世のお坊っちゃん首相が、一年交代で政権をおっぽりだしている国とトップがハングリー精神と大きな理想主義を兼ね備えている国とでは比較する方が間違っているかもしれないが.....。

2009年4月21日火曜日

妄想の真実 病気編その4

脳卒中という病気がある。私の父も祖母も祖父も患った病気だ。
結論を言えば自分の殻に閉じこもってがんばりすぎるとなる病気だ。

脳梗塞も良く似ている。昔は中風といって区別していなかったとの事。

他人に正しく頼る事ができない状態に陥ったとき、これらの病気になり、
症状である「麻痺」が否応無しに他人に頼らざるを得なくなるように
仕向けるかのようだ。

父は意識が戻らず、他人の世話になるのを拒否するかのように、数日で
亡くなってしまったが・・・・。

2009年4月19日日曜日

妄想の真実 病気編その3

反抗的鬱屈をためると結核などの肺病にかかりやすくなる。

むかし、道徳科学の講師から、「ハイハイと人の言う事を聞かないと肺病になる」という話を聴いた。

残念ながらまさにその状態の人を見た事はないのだが、祖父や遠い親戚や退職された上司など、若い頃に、結核(祖父の場合は肋膜といっていたが、昔の事なので人聞きを慮っての事であろう)を患った人の話などから、そのように推定している。少し弱い「真実」である。

これと好対照なのが、癌である。 癌は、「我」が強い、すなわち上記と反対に、鬱屈を溜め込まずに自分で解決してしまう人に良く見られる。 すばらしく活動的な生き方をした人で、最後は癌でなくなるというケースが多いように思う。

面白いのは、結核ワクチン(丸山ワクチンなど)が癌に効果がある事が認められている事である。両者(肺結核と癌)の間の関係が、上記の精神や行動的要因に見られるように、病理学的にもなんらかの拮抗する関係にあるのかもしれない。

2009年3月8日日曜日

私にとっての神 その7

私は、キリスト教の強さの一つが、奴隷の宗教であった事、もう一つは聖書という言葉による経典がある事だと考えている。

言葉による経典という意味では、仏教も、儒教も差がないハズだが、キリスト教にはその事を明示的に示す、有名なヨハネの福音書(Gospel according to John)というものがある。冒頭の「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」(In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.)は、旧約聖書から引き継がれた聖書作者の考えをはっきりと示している。

言葉というものを記号論理の表現手段として純粋化(厳密化)していけば、数学にいたるだろう。神学も数学になるべきだと私は思っている。 そう、神を定義する事が可能かどうかはわからないが、少なくとも神を表現するのに「万能」「全能」「超越者」だのといった定義のない言葉を使うべきではない。

その意味で、神学者は、まず数学、少なくとも論理学をもっと勉強しなければならない。実際、大学程度の数学をかじったものなら、「超関数」「リーマン球における無限遠点」など神のいわゆる「超越性」連想させる概念が気になるはずである。 

あるいは、神の存在など、私たちが抱えている問題について、ある種の「解の存在定理」のように、存在すると仮定して計算進めて(つまり神が存在すると仮定して行動して)、出てきたものが、解であれば、(神自身の存在は証明できなくても、)それでよいのかもしれない。 直接の存在は証明できないが、言葉として我々が生きていくうえで、実際に役に立てばそれでよいとだすれば、その働き方はまさに言葉と同じである。

近現代の数学を知らない聖書作者のヨハネが、すでにその事に気づいていて、聖書が歴史的事実かどうかを気にするなとあえて宣言した様に思われる。