2009年1月20日火曜日

スリの名人に出会った(と信じている)話

30年ほども前になるだろうか、年末に家の商売を手伝っているときにスリの名人に出会ったことがある。 実を言うと確証はないのだが、状況とある種の感覚からそうと信じている。

私の父は、大阪は難波(通称「みなみ」とよばれる大阪の繁華街)の南にある木津地方卸売市場という所で、魚の仲買商をやっていた。

魚といっても塩干魚つまり、塩鮭や鰯の丸干しのような鮮魚に保存用の加工を施したものが中心的な商品であった。

年末になると、数の子(主に塩数の子)や棒鱈(鱈の開いた身の硬い干物)、かまぼこといった正月用品を扱うため、戦場のような忙しさとなる。

そのなかに常連のお客さんで、難波でチェーンの蕎麦屋をやっている大将がいた。

年末の超混雑しているある日のこと、その大将が、その日の仕入れと支払いを終え、帰ろうと店の外 へむかって移動し始め、何かを思い出しのかまた店の中へ向かって、ズボンのポケットにいれた財布をさぐりながら、さわぎ始めた。 

聞くと今数秒前にズボンのポケットにしまった財布がないという、周囲の数人に盛んにアピールするが、超混雑状態のためほとんどの人が知らん顔している。

しかし年配の夫婦連れの客がいて、この男の方が、確かに財布をしまうところを見たとか、誰かが向こうのほうへ行ったとか、饒舌に相手をしてくれた。 

やがて、大将は、周辺を何度探してもみつからないので、 どうもスリに会ったようだとあきらめて、店内にいる私や家人に出てきたら知らせてくれるよにというような事を言い置いてさっていった。 その夫婦連れも雑踏にまぎれていなくなった。

しかし、あとからよく考えてみると、混雑しているとはいえ、狭い通路内での数秒間のことであり、どう考えても、その夫婦連れの男が怪しい。 怪しいとは思いながらも、見たわけではないので、うまく問い詰めるだけの知恵と勇気がなかった事を後悔した。 そう思い返すとずいぶん白々しい芝居であった。

怪しいと思ったもうひとつの大きな原因は、その男の目つきが鋭く、誰かの目に似ているのである。 誰かというのは、そのころまだ現役で活躍していた野球の王選手である。

新聞記事に、王選手がどこかのえらい禅僧に、「あんたは名人の目をしている」といわれたという話を書いていたことを思い出した。 あの男は、スリの名人だったに違いないと、確信しているのである。

件の大将の財布は、すぐに現金だけきれいに抜き去って、市場のトイレで発見されたと守衛室から連絡があった。 

これはプロの流儀なのであろうが、気づかれてすぐの白々しい芝居は、まだナイーブな学生の私ですら怪しいと思ったくらいであるから、プロらしいとはいい難い。名人の修練の外の出来事であったのかも知れない。

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