2009年2月23日月曜日

ユダヤ人の一神教 契約と言葉

旧約聖書は、古い契約だという。
奴隷となった民は多かったのに、どうしてユダヤ人だけが、一神教という宗教を発明できたのだろうか?

第一の答えは、彼らが、言葉を記録すべき文字を持っていたからであろう。
逆に言うと、文字という高度のな文明を持っていながら、奴隷となり、さらに生き延びた例が、稀有であったというべきなのかもしれない。

そして彼らの宗教は、契約だという。
これも、研究と思索を要する話だが、一神教には、言葉が、書かれた言葉が必要だといえるのではないだろうか?

戒律も、一方的ではあるが、書かれた言葉による契約なのであろう。

2009年2月22日日曜日

一神教 試練を生き延びた開放奴隷の心象2

ユダヤ人が発明した一神教が、彼らが昔奴隷であった事の消えぬ刻印であるとかいた。(断っておくが、ユダヤ教や一神教が多神教より劣るとか、価値がないとか言いたいわけではない。 むしろ一神教の強さと弱さを明らかにして、私自身の神とは何か?何であるべきか?との問いに答えを出したいのだ。)

私自身最近、気がついたことなので、もう少し深く掘り下げてみようと、旧約聖書をそういう目で見直してみると、ちょっと考えただけでも納得させられる事が多い。
気がついた順に書くと、



1.アブラハムが息子のイサクを神に捧げよ命じられた事
先祖崇拝のアジア系の神ならあり得ない話だが、奴隷主なら奴隷の子供は家畜の子と同様の財産であり、奴隷から子供を取り上げる事など日常であったであろう。

2.カインとアベルの説話から
この話から、カインは農業の民の祖先、ユダヤの先祖のアベルは遊牧民であったとされる。カインが敵役になっているのは、農業民の方が古く、肥沃な土地は農業の民に占拠され、遊牧民はその奴隷もしくは下級階級とされていたのを、遊牧によって独立して荒野に逃れたということであろう。

3.エデンの園の説話
奴隷には、自分の判断でできる事は極端に限られていたであろう。しかしその反面奴隷主に従う限り命は守られ、知恵と力を自己責任で働かせて、生存競争と対峙する苦しみは緩和されていたであろう。エデンの園から出たという事は、彼らはむしろ、後者の苦しみ、知恵のりんごの木を食べる方を選んだのである。

4.妬む神
昔から人々を旧約聖書の解釈をするときに苦しませてきたようだが、奴隷主なら当然であろう。自分の財産なのだから。(Amazonの書評から、岸田氏の著作にも書いてありそうだが)

ユダヤ人の一神教が、元奴隷の体験が下敷きになっている事は、明らかのように思える。 だからこそ、これほどまでに強く、後の世に影響を与えているのだろう。

妄想の真実 その5

生まれ変わりを信じるかといえば、yesである。

私には5人の子がいるが、3女は、私の祖父が亡くなった翌年に、4女は父が亡くなった翌年に生まれている。似ているのである。それだけで証拠は何もないが、そうに違いないと信じている。

その事で、もう一つ信じているのは、生まれ変わりでは、男性は女性に、女性は男性に生まれ変わるのであろうという事である。

直接関係ないが、DNAの2重螺旋や正弦振動などの自然現象を連想しながら、そうに違いないと信じている。

2009年2月20日金曜日

一神教 試練を生き延びた開放奴隷の心象

安田喜憲教授の一神論について「(環境破壊された砂漠の荒野での)妄想」だとの論評を(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090203/184786/?P=1)を読んで、何かちょっと違うと感じているとこのブログに少し前に書いた。

自分自身が子供の頃から聖書物語などを読んでいたので、一神教についての弁護的な感情を抱いていたからだが、一神教と多神教の違いはなんだろうかと、この数週間純粋に考え続けていた。 

ある事に気がついた。 そうだユダヤ人は、エジプトでもバビロンでも奴隷だったのだ。そして荒野に逃れた。 奴隷だった人間が、荒野に逃れたとき必要になるのは何か?

それは、新しい主人(Master)すなわち神に他ならない。 一神教とはすなわち「奴隷の主人に対する心象の投影」に違いないと、今日、会社からの帰り道を歩き出した時に自然に気がついた。 だからこそ彼らの神は、人間のように嫉妬深いし、戒律にうるさいのだ。

すべてがストンと納得のいく答えが得られた。 そしてローマでどうしてキリスト教はあんなにも急速に広がったのか? それは、ローマが奴隷の上に成り立ち、時代が下るに従って、兵士その他を経た解放奴隷が増えていったからに違いない。 すべてがうまく説明がついてしまう。なんと言う発見だ。どうしてこんな簡単なことに今まで気がつかなったのか?

真理を一つ発見し得たに違いないという自己満足に酔いながら、これも既にそのような説が唱えられているかもしれないと、検索をしてみたら、すぐに出てきた。

精神分析学者の岸田秀が既に書いているという。(書評なので中身を読んでいないが)http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99vs%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E6%95%99-%E5%B2%B8%E7%94%B0-%E7%A7%80/dp/4403210791

毎度の事ながら、少しがっかりだ。英語でも検索中で、まだ発見できていないが、きっと西洋人の中にも気がついていた人にいるに違いない。

人の同説を探し回るより、だからどうなのかという事をもっと掘り下げて考えてみようと思う。 どうして一神教は、科学を生み出すことができたのか? どうして、その後の社会の発展は、もっぱら一神教によっているのか?

2009年2月15日日曜日

妄想の真実 その4

死後一週間目における死んだ人の影響力というものが、ある様に思う。マリリンモンローの自殺一週間後にJFKが撃たれた話は書いた。

実は私の個人的な経験としても2,3ある。
一つは、私の父の死後、ちょうど1週間後に、父が夢枕に現れた。
また、妻の母が西宮で亡くなった、ちょうど一週間後に、鎌倉の我が家の玄関先にハクビシンがあらわれてうちの中を覗き込んでいった。

これは幽霊とかではなくて、死後の世界に旅立つ人は、ちょうど1週間後に、この世の心残りを一つ清算できる機会を与えられるに違いないと信じている。

2009年2月10日火曜日

私にとっての神-6(神との出会い2)

まばゆい光の塊であると同時に私の現世の父と祖父である神に出会い、お告げを受けたということを書いた。
実を言うと寝ているときの出来事であるが、そのリアルさは決して夢ではなかった。

しかしこのお告げは、残念なお告げであった。
神は私にこういわれた。「すまん、すまん、お前は選ばれなかった。代わりに金をやろう。」と。
これは、本当の現世の父と祖父の気持ちを伝えていたのか、ある意味でこのお告げは実現している。

平成のバブル期、父は投機的不動産取引に失敗して多額の負債を背負ったが、私やおじ達の名義でそれなりの財産を残してくれたからである。 今、一介のサラリーマンでありながら、鎌倉の閑静な住宅地に一家9人で住める家を持てているのは、そのおかげである。

「選ばれなかった」というのも、その当時には、「(お前は跡取りとしての期待に応えてくれなかったので)跡取りにかけるべき本当の愛情を別の人間にかけている」という意味であったろうことも、後にそれとわかったのである。

しかし、父や祖父が、本当に私にとって、神でなかったか、といえばそうではないと思っている。
石原慎太郎が、「法華経を読む」にも書いているが、実は人は、神にも悪魔にもなれる存在なのではないかと。父と祖父が注いでくれた素朴で純粋な親の愛こそ、人間の性格の中でもっとも神に近いものに違いない。

親という有難い現世の神がありながら、どうして、もっと大きな神を求めるのかといえば、親といえども人間だからというしかない。自分よりも目上の人間に愛情をかけようと思ったら、もっと大きな存在を考えなければ、本当の愛情をかける事ができない場合があると、私は思う。

2009年2月9日月曜日

妄想の真実 その3

これは、物理的な話で、科学的に真偽を確かめられる筈の事なので、妄想というよりも仮説というべきかも知れない。

既に以前のHPにも、パソコン通信時代のNIFTYの地学フォーラムにも書いたが、1995年の阪神淡路大震災は、ポートアイランド、六甲アイランドの埋め立てが原因に違いないという事である。 

残念ながら実証するだけの専門的知識と熱意が、自分にはない。 だがこれには、賛成だといってメールをくれた人が確か一人あった。