2009年2月7日土曜日

妄想でなかった真実

塩野七生の「ローマ人の物語」と"COLLASPE",Jered Diamondを読んで、ローマが滅びたのは、大浴場好きのローマ人が燃料用などに樹木を切りすぎたせいではないか?と妄想していた。

なんと既にそれが学問的に研究によって半ば実証されている事実であることを最近知った。堆積した花粉をしらべる事で、森林地帯が、破壊されていく変遷がわかるという。
この安田喜憲教授によれば、ローマだけでなく、ギリシャもそうだという。


ただし、安田教授の一神教対多神教について議論には賛成しかねる部分がある。一神教は砂漠で生まれ、多神教は森林で生まれたというのは、まあいいとして、多神教文明の方が環境保護や政治的平和共存の意味で優れている様に書かれているのは、因果関係が逆転した議論になっていると思う。

私が、一神教と多神教について一つ確実にいえると思っている事は、多神教は倫理的教義や戒律を持たない事であろう。その意味では多神教よりも一神教の方が進んでいるというか、後からできたに違いないということである。

ただ、この投稿は、前半の森林環境破壊が古代ギリシャ、ローマ文明を滅ぼしたという事が実証されつつある事に対する驚きと賞賛にあるので、一神教VS多神教議論は投稿を改めたい。

妄想の真実 その2

男女関係に関した事で、暗殺された元首の話から、因果関係があるに違いないと思っている事がひとつある。
伊藤博文とジョンFケネディである。
そう、二人とも女性関係が激しかったという事が有名である。
伊藤博文の方は、具体的な話がわからないが、ケネディの方は、マリリンモンローの自殺後1週間で暗殺されている。

「妄想の真実」は2つあって、
1つは、
暗殺されたのは、無くなった女性の怨恨が原因ではなったか?
もう1つは、
この1週間というのは、亡くなった人が、この世に影響を与えうる特別な期間ではないかと言うことである。

後の方は、また別に書くとして、

いかに有能なリーダーといえども、長生きをしたければ、「英雄豪傑色を好む」は仕方ないとして、女性を弄んだり、うらまれるようなことはすべきない事だと思うのである。(たぶん女性だけではないのだろうが。)

妄想の真実

神以外に、科学的に証明できないであろう事で、自分の不思議な体験などから、そうに違いないと信じていることが、いくつかある。
幽霊などは、信じないほうだが、人間の霊やテレパシーというのは確かにあると思う。証明できないだろうという意味で「妄想の真実」としていくつか書いてみたい。

猫が霊を運ぶというのはよく聴く話だが、それに似た事が、もう20年以上も前の事だが私にもあった。
親の反対で、付き合っていた20をちょっと過ぎたばかりの、少女のような女性を無慈悲にも振って、親元の田舎に返してしまった。 エゴの極みであったが、その直後から毎夜毎夜、家の庭にどこかの猫が来てミューミューと悲しげに鳴くのである。 半年以上たって猫が鳴かなくなった頃に、彼女のことを忘れられず電話してみると、結婚するという。
しかし、彼女が言うには家に帰ったころは、親に「お前は馬鹿だ」といわれ、何ヶ月も毎晩泣いていたという。私には口にすべき言葉もなかった。

我流人相学-その4

これはあまり自信がなく、自分流の実例確認もできていないので、書くの躊躇するのだが、プレイボーイ(女遊びが激しいという意味)の相らしいものがある。
これも頬の下半分から顎にかけて出るのだが、細かい縦ジワと独特の消耗感が漂う相である。
それと噂されるかなり昔のあるお笑いタレントや、ハーフのタレントを見ていて気がついたのだが、確認が難しい。 職場で40台後半の人でそういう感じの人がいるので、一度飲んだ時にでも聴いてみて確かめてみようとひそかに思っている。

私にとっての神-5

小学校5,6年生のときだったと思いますが図書館に、聖書物語という本があり読みました。
旧約聖書と新約聖書の2つがあり、最初は旧約聖書の方を読み、おもしろかったので、新約の方も読み始めましたが、まったく意味がわかりません。
旧約の方は、おとぎ話のように、どんな登場人物が何をしてどうなったかということがとてもわかりやすく、その意味しているところはわからなくても、行為それ自体がわかりやすく子供なりに楽しめたのですが、新約の方はいけません。
イエスキリストが主役なのは、当然なのですが、なぜそのようなことをするのか、何を考えているのか、何が起こっているのか?さっぱりわかりません。 今になって考えれば、そのころの私には、わかる筈もその必要なかったということだとなっとくはしているのですが。

最近聴いている音楽

Eva Cassidyを最近知りました。

You Tube で何でもありなのは、愕くばかりですが、仕事で知的財産関係の仕事をしているので、これで大丈夫なのだろうか?と少し心配になります。
しかし、早世した本人は 、自分の残したものの金銭的価値よりも、多くの人の心の糧になる事の方が、歓んでいるであろうと勝手な理屈をつけて、ありがたく聴いております。

私にとっての神-4(神との出会い1)

結婚後、子供ができ、2-3年もした頃だったろうか?
日々迷妄が起こるたびに心の中に神に祈り、神に道を問い続けていた。ある日の明け方、私は神に出会った。まばゆいばかりの光そのものであった。顔ははっきりとはわからないのだが、私の現実の祖父と父がひとつになったお方であるのが感じられた。 意外であった。畏怖よりも懐かしさとまばゆさばかりが感じられた。
傍からみれば、独りよがりかもしれない自分教の神を信じているに過ぎないのに神に会うことのできた思いにただ言葉もなく感激に浸っていたのだと思うが、そのとき実にはっきりとした言葉による神からのお告げがあったのだ。